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2020.07.01

自主映画

新作自主映画/出演者募集終了のお知らせと、いくつかのこと

□6月6日から開始した「新作自主映画/出演者募集」ですが、事前告知したとおり、6月30日をもって締切らせていただきました。

大変多くの方にご応募いただき、まことにありがとうございました。
とても熱い意気込みや問題意識を綴られている方が多く、大変勇気づけられました。

最初は「情報が必要な方に届けば」くらいに思っていたのですが、日に日に応募者数が増えて途中からメーラーのデータ容量を増設しなければならなくなり、読み逃さないよう細心のチェックに追われる毎日になりました。
AIが勝手に迷惑メールに区分してしまったものもすべて拾っています(AIめ)。
コロナ禍での苦しみや仕事がなくなった怒りを書かれている方も多く、わたしも同じ状況のため、あふれんばかりの思いを受け止めきれずに夜な夜なうなされたりもしました。
また今回応募するために、コンビ解消して某大手事務所を辞めたという芸人さんもいらっしゃって、責務の大きさに震えています。
いや、ほんとに。

□今回応募くださった方へ、公表できる情報はできるだけ明らかにしたいと思います。

応募総数は、約2500名の方々でした。
(何通かにわけてメールをくださった方や、一通のメールに複数人の応募があった方も多数いたので、曖昧な数字ですみません)。

100名くらいいれば、と当初思っていたのですが、最終的に想定の25倍以上の方からご応募いただいたことに驚いています。
すでに脚本初稿は完成していますが、役は20名前後しかないため、多くても1%の方しか最終的な採用とならないことを記しておきます(特に「1」の役は厳しいです)。

結果的に狭き門になってしまいましたが、厳正な選考をし、二次審査へと進ませていただきます。
【応募方法】に記載した通り、
「合格者の方にかぎり、7月15日までに通過の結果をメール致します」

□普段、映画を作る時は、「なるべく多くの方にお会いしたい」と思って、できるだけ対面でのオーディションを心がけています。
一番多かったのは『22年目の告白ー私が殺人犯ですー』の時で、数百人にお会いしました。
書面や写真だけではわからないことが多く、会ってみてその人のエネルギーや葛藤を肌で感じたい、と思うためです。
しかし、今回は大きく2つの事情により、書類選考止まりの方がかなり多くいることをご理解ください。

□理由の1つは、今作が「自主映画である」ことです。
今のところ、監督・脚本・プロデューサーなどをわたし一人で務めており、オーディション業務についても他のスタッフはいません。
商業映画でしたら、キャスティング担当や助監督が情報を整理して、候補者の方々とできるだけ会えるように段取りをしてくれますが、今回はそういう体制ではないことをご理解ください。
とはいえ、すべての応募書類について繰り返し末文まで読ませていただいています。

□もう1つは、いまだ新型コロナウイルスが収まっていないためです。
(東京アラートはいつのまにか鳴りをひそめましたが、感染者はまた増えています)。
平常時でしたら、大きな会場にできるだけたくさんの方をお呼びするのですが、現在は大勢の方と一度にお会いするのが難しい状況です。
わたしだけではなく俳優同士の危険性もありえます。双方の安全のためご理解ください。

□以上、大きく二つの理由から、書類選考でかなり絞らせていただきます。
とはいえ、通知がなく、「なんでダメだったんだろ」と思われる方も多いと思います。
わたしも20代の頃、自主映画をコンペティションに送って何度も落選した経験があるので、なしのつぶてへの徒労感はわかります。
「少しでも理由を知りたい」という方に向けて、今回の選考基準とわたしがお聞きした質問事項の意図について記しておきたいと思います。
次回以降、別件等の参考にしていただける方がいらしゃったら望外の喜びです。

また、わたしも来年以降、映画制作はもちろん続けていきますので参考にしていただければ嬉しいです。(もうお前には送らねえ、ということでなければ……)。
おそらく倍率的には、今回の自主映画よりも商業映画の方がハードルが低いはずです。

以下、今回の書類選考の基準と、質問意図について。
長くなりますが、ご興味がある方へ。
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(1)フリー/事務所所属について

「フリーでも事務所所属の方でもかまいません」と要項に記した通り、今回の選考にどちらであるかが判断基準になることはありません。
ただ、今回は「自主映画」であるため、わたし個人としては「めんどくさいのはイヤだ」と思っています。
商業映画には時々めんどくさいことが起こります。
キャスティングした俳優が何かのCMに出演していて妙な縛りが発生するとか、俳優本人と意思疎通をするために何人もの方を経由しないといけなかったり、とか。
今回は今のところわたし一人でキャスティングしているため、できるだけ作業をシンプルにしたいと思っています。
「明日これますか?」「いけます」「いや無理っす」みたいなのが理想です。

『SRサイタマノラッパー』の時は、俳優たちがわたしの実家で一緒に寝泊まりしていたため、撮ってきた素材を夜に一緒に見て「あ、こりゃだめだ。明日もう一回やろう」みたいなことがよくありました。
『SRサイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』ではすべての撮影が終わった後、編集していて「何か足りない」と思いました。すぐに主演の山田真歩さんに電話して「来週追撮しよう」と相談し、タケダ岩をひとり見つめて橋の上で泣くシーンを撮り足しました。
以上のような経験から、できるだけ連絡がシンプルである方が自主映画は良いと思っています。
俳優事務所に所属していても構いませんが、撮影にマネージャーさんが一人増えるとそれだけ宿泊代や交通費が増えて、僕の財布を圧迫するというのもあります。
(もちろんそれでも「この方しかない」という俳優さんだったら、やぶさかではありません)。

(2)「No.1〜No.3の役については、俳優を一生やっていくと決めている方のみご応募ください。長く日本映画を共に生きていける方との出会いをお待ちしています」

ずいぶん大きく出たな、と思われた方もいるかもしれません。
でも、これはかましなどではなく、厳然たる事実です。
この募集期間中、第七藝術劇場という大阪の映画館で『SRサイタマノラッパー』のリバイバル上映がありました。
時節柄リモートでのトークショーをやりたいという話が劇場さんから出ました。
すぐにSHO-GUNGのメンバーとヒロインのみひろさんへ「出れる?」と連絡しました。
彼らは全員出演しました。
『SRサイタマノラッパー』は2007年撮影で、もう13年が経っています。
この間、彼らは北海道から九州まで、映画館や映画祭などで何百回も舞台挨拶をしてきました。
街中でチラシ配りも無数にしたし、自腹で遠方まで行ったことも数知れません。
わたしの無茶振りで仲代達矢さんや大林宣彦さんの前でラップを披露したこともあります。
13年間、舞台挨拶やトークショーがある度に、わたしは「出れる?」と連絡をし続けています。
それでもすぐに「出れる」といってくれる人でないと困るのです。
上映してくれる映画館にも申し訳ないし、何より観に来てくれたお客さんに少しでも喜んで欲しいからです。(そういう意味でご一緒したことはありませんが、井浦新さんの劇場活動は尊敬に値します)。
すごいな、と最近思うのですが、彼ら彼女らは一度も「めんどくさいな」という顔をしたり、「事務所がちょっと……」といったことはありません。
他の仕事でどうしても登壇できない時は、その後大阪や名古屋へ行った際、勝手に映画館へ行って「この前はすみません」と挨拶したりしています。
ですので、「長く日本映画を共に生きていける方」というのは比喩ではありません。
場合によっては、死ぬまでわたしから「明日これる?」と連絡がある可能性があるのです。

(3)「好きな映画」と「好きな本」について

どんな映画をこれまで観てどのように感じてこられたのか、どんな本をこれまで読みどのように感じてこられたか知りたいと思って、記載をお願いしました。

わたしは俳優である前に、映画を愛する人と一緒に自分の作品を共に作りたいと思っています。
さらに、できるだけ映画館で映画を観るのが好きな人と。
正直なところ演技の上手い下手よりも、どれだけ深く、多く、映画を観ているかの方が重要なんじゃないかとすら思っています。
マイルス・デイビスを聞いたことのないミュージシャンより、コルトレーンもRunDMCもチャイコフスキーも聴いたことのある人の方が信頼できるのと一緒です。
『AI崩壊』の時は、三浦友和さんや岩田剛典くんと「最近何の映画観ました?」と話しました。
あの映画を映画館で観ている。どうやら私と同じところで感動したらしい。ということがわかっただけで、もう演出はほぼ終わっている、とすら思います。
『ロックンロールは鳴り止まないっ』のときはオーディションに来た二階堂ふみさんに「最近観た映画で何が面白かった?」と聞いたら、『動くな、死ね、甦れ!』と答えました。ソ連映画の名作です。少なくとも16歳の時、わたしは観ていなかったし、観ても面白いと思えたかどうか。16歳でそれが面白いと思える感性だけで、わたしは「この人絶対に面白い」と思って芝居も見ずの主演に抜擢しました。その後の彼女の活躍はいうまでもありません。
個人的に高校時代、映画について話せる友人がいず、この世界に入ってようやくジョン・カサヴェテスや溝口健二のことを話せて嬉しかった。
その喜びの体験を一生続けていきたいし、それが共有できる方に現場にいて欲しいと思うのです。

本については、もう少し具体的です。
わたしが俳優へ渡す最初の演出は、脚本という名の本だからです。
(同時に脚本は、脚本家から俳優・スタッフへの一種のラブレターだと思います)。
わたしは役作りについては俳優とあまり話しません。それが良いか悪いかはわかりませんが、脚本を読んでどのようにその人物を解釈したか、物語をいかに捉えたかを、できるだけこちらから束縛せずに投げ返して欲しいからです。
そのために、俳優もスタッフも多くの本を深く読まれていた方が良いと思っています。
『ビジランテ』という映画の脚本は、ドストエフスキーの長編小説を読んでいないよりは、読んでいた方が、より深く解釈してもらえるかもしれません。
「きれいはきたない。きたないはきれい」という台詞をさりげなく書いたとして、シェークスピアを読んだことがない方に、果たして理解してもらえるのだろうかとも思います。
わたしたちの多くはたぶん天才じゃないです。だからこそ、この有名な言葉の意味を考えたいと思うのです。
「私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に乗っていたからです」

(4)なぜ、わたしなのか?

今回多くの志望動機を拝読し、考えたのが「なぜ入江悠の映画なのか?」ということです。
日本には多くの監督がいて、世界に目を向ければ無数の監督がいます。
なぜ、わたしなのか?
これまででしたら、「入江悠? 知らねえけど来てみた」という方とお会いしても、思わぬ発見があって刺激的なのですが、今回はできるだけ書類で絞らせていただかざるを得ないため、何度も志望理由を読んで悩んでいます。
「なんでもいいから売れたい」「とにかくきっかけが欲しい」という動機も十分理解できますが、正直なところ「沖田修一監督の映画と出会った方が後々良いのでは」「福田雄一さんの作品の方が幸せなのでは」と思う方がいらっしゃることも事実です。(沖田さん福田さん、名前出してすいません)。
基本的に映画監督というのは嫉妬深くめんどくさく偏屈な人種なので、誰と出会うかでその後の俳優の人生も大きく変わる可能性があります(人柄だけでなく、作品のトーンでも)。
トライ&エラーを繰り返せれば良いのですが、今回はわたしにとってもほぼ自費で制作する約10年ぶりの自主映画なので、できるだけわたしの映画を、しかも「自主映画」を求めてくださっている方と出会いたいと考えています。
入江がどんな人間なのか、どんな演出方法をする者なのかは、過去のインタビューをネットで探していただければ読めますし、Youtubeに対談や過去作のメイキングもあがっています。年に一度程度はワークショップもやっています。もしあなたが漠然と「映画に出たい」ではなく、「この人の映画に出たい」とわたし以外の監督に対してでも思われたら、調べてアプローチする方法はいくらでもあると思います。かつてわたしも映画の企画を持っていくため、どの映画会社が良いか、誰に渡せばわたしの意図を汲んでくれるのか必死に探し続けました。今も「なんでも良いから映画が作れれば良い」とは思っておらず、「この人と一緒に作りたい」と考えてそのための下調べはできるだけ丁寧にしています。
今回応募するにあたって、募集期間中にわたしの登壇したトークイベントにお越しいただいた方、未見だった拙作をご覧いただいた方には御礼申し上げます。

(5)映画が求めているか

長くなってしまいましたが、これで最後です。
これまでいくつかの選考判断について記してきましたが、実は最も大事なのは、わたしが求めているか否かよりも、「映画が求めているか」だと考えています。
すでに脚本の初稿を書き終えていますが、エンドマークまでいくと脚本というのは脚本家や監督の手を離れて、自由に歩き出す瞬間があります。
ちょっと抽象的になりますが、「わたしはこういう映画になりたいと思っている。劇中のこの人物はこういう人だ」というのを脚本自身が訴えだすような感覚です。

今回の企画は、プロデューサーも脚本家も他にいないため、できるだけこの声に繊細に耳を澄ませたいと考えています。
脚本には、邪念がありません。
Twitterやインスタのフォロワーが何万人とかは関係がありません。どれだけキャリアがあるか、逆にないかも関係がありません。これまでどれだけ幸福な人生を歩んできたか、不幸な経験をしてきたかも関係がありません。そういう意味でとても公平で、映画っていいなと思っています。
ただ、「今のわたしにとってはこういう人が必要だ」と脚本が訴えるばかりです。
この声へ、静かにじっと耳を傾けたいと思っています。
おいスピリチュアルだなと思われるかも知れませんが、あるんですホントに。

(6)最後に

以上、長々と失礼しました。
今回もっとも長文で意気込みを書いてくださった方よりも少しでも長く。それがせめてものこちらのお返しかもしれない、と思って書かせていただきました。
応募くださったたくさんの皆様へ、少しでも何かをお返しできていたら幸いです。
わたしの敬愛する劇作家の書いた戯曲に「言葉もまた贈り物」という台詞があります。
この戯曲と演劇が大好きで映画化もさせてもらいましたが、この台詞が今回何度もこだましました。
皆様からの熱い言葉はわたしへの贈り物であり、中には「この大変ななか長文を最後まで読んでいただきありがとうございました」とこちらの身まで労ってくださることがいたことに、とても勇気づけられました。せめて少しでもこちらから返礼できていたら良いのですが。

また、今回の志望理由の中で「コロナ禍で仕事がなくなった」「先が見えなくなった」と書かれていた方も多くいらっしゃいました。
わたしも同じ状況なので、その心中すべてとはいいませんが、わかるつもりです。
この数ヶ月、わたしは自分の大事な場であるミニシアターを支援する活動をしてきましたが、その過程でひとつだけ気づいたことがあります。
今回のように皆がそれぞれの場所やそれぞれの仕方で困窮した時、自分のことばかりを考えているよりも、遠くの誰か、あるいは自分にとって何か大事だったものを応援することによって、逆に救われるのではないか、元気がもらえるのではないのかということです。

俳優、または監督という仕事は、他者やマイノリティの痛みや苦しみを知れば知るほど、それは自分の仕事に帰ってくる存在だと思います(室町時代の芸能従事者はそもそもマイノリティでした)。
ぜひ、このコロナ禍にめげず、活動を続けられることを願っています。
今回は(わたしのせいで)ご縁がなかったとしても、あなたが俳優を続け、わたしが映画制作を続ける限り、どこかで人生が交わることは十分にあると思います。
もし今回ダメだった方で、将来どこかでわたしに会われた方は、「あんとき送ったのによ」と愚痴ってください。
その日を楽しみにしています。

入江悠