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2018.06.29

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『スリー・ビルボード』の英語脚本を読んでみた

ogp

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こんにちは、入江悠です。
梅雨なのに突然の真夏日。
皆様いかがお過ごしでしょうか?

新作『ギャングース』の仕上げ作業が終わり、ちょっと時間的余裕ができたので、こんな期間は勉強か旅行だ、ということでアメリカ映画の脚本を読みました。今年の前半話題になって、アカデミー賞も受賞をしたこの映画。
『スリー・ビルボード』(原題は「THREE BILLBOARDS OUTSIDE Ebbing, MISSOURI」)。

「週刊文春」では宮藤官九郎さんが「3回観た」と書いていましたが、私は劇場で2回観ました。(ほんとは5回くらい観たかった!)
1回目は「これ、どこに向かってくんだろう……」と行き先にハラハラしながら、2回目は結末を知った上で、演技や演出、撮影や照明を満喫、という感じです。
正直、今年のアカデミー作品賞としては、『シェイプ・オブ・ウォーター』より『スリー・ビルボード』だったんじゃないか、と個人的には思っているのですが、それはともかく。
この映画はフランシス・マクドーマンドやサム・ロックウェルという俳優陣も素晴らしいし、「ABBA」などの音楽の使い方も見事、と唸るしかないのですが、それよりもやっぱり本作を私にとって特別なものにしたのは、脚本の力です。

日本語翻訳の脚本は出版されていないので、アメリカから取り寄せて原文のスクリプトを読みました(分からない単語は辞書を引き引き……)。
コツコツと1日4、5ページ読むこと約1ヶ月、やっと今週読み終えました。
感想としては「やっぱり凄い!」 の一言です。
脚本は映画の設計図、脚本がすべて、などと言われますが、『スリー・ビルボード』の脚本は構成がまるで古典の戯曲のようにガッチリ決まっている。
3幕構成、という言葉がありますが、教科書のように見事な3ブロック。

(1)街はずれに3枚の看板が設置されてから、やがて警察署長に訪れるある結末。
(2)主人公ミルドレットを襲う誹謗中傷と、警察官ディクソンとの対立。
(3)警察署襲撃から、それぞれの和解、そして旅立ち。

うーん、見事。
最初はどこに帰結していくのかわからない怒涛の展開に目を奪われましたが、その実、本作はそれぞれが偏見や怨讐を乗り越えていく物語です。
主人公ミルドレッド、警察署長ウィロビー、警察官ディクソン、この主要登場人物3人が最初の登場シーンから何かをひっくり返していく構造です(タイトルにもなったあの3枚の看板に表と裏があるように……)。
この構成の美しさには心底嘆息しました。一方で、原文の脚本を読むことによって、日本語字幕では文字数の都合で省略されていた台詞の妙もわかりました。

たとえば本作にはジェームスという小人の男性が登場します。
オリジナルの台詞では彼のことを様々な人がこんな蔑称で呼びます。
「dwarf」
「midget」
記憶が定かではありませんが、「munchikin」という言葉もあったと思います。(『オズの魔法使い』に登場する小人族の名称です)。

警察官ディクソンは女性差別的、黒人差別的なキャラクターですが、他にもこのミズーリ州の街にはさまざまな差別がまだしぶとく根ざしています。
日本のメジャー映画は現在日本に残る差別を正面きって描くことは避けがちですが、『スリー・ビルボード』はその現状を描いています。

そんな中、主人公ミルドレッドとデートでディナーを食べていたジェームスは、トイレに立つ時にこんな台詞を言っています。日本語字幕では「ちょっとトイレ行ってくる」くらいだったと思いますが、原文ではこんな言葉です。

“Gotta use the little boys’ room.”


※今週、映画館で観た映画(メルマガでレビュー執筆しています)

『デッドプール2』(2018年、デビッド・リーチ監督)
『太陽がいっぱい』(1960年、ルネ・クレマン監督)
『お茶漬けの味』(1952年、小津安二郎監督)
『曽根崎心中』(1978年、増村保造監督)
『動脈列島』(1975年、増村保造監督)


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