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2018.11.22

ギャングース

映画『ギャングース』劇場公開に寄せて

映画『ギャングース』公開が2018年11月23日から始まります。
この映画が生まれた経緯について、ここに記しておきたいと思います。

『ギャングース』はさまざまな“熱”の伝播によって世に出ました。

もともとはルポライターの鈴木大介さんが書いたノンフィクション「家のない少年たち」。
鈴木大介さんは、貧困児童や犯罪者、前科者、さまざまな方に取材して、特殊詐欺や“タタキ”の実態、抜け出せない貧困や負のループについて執筆されました。
生まれつきの犯罪者なんていない。
家庭や教育の環境からこぼれ落ち、無視され、加害者や非行少年少女になってく。
そういう子供たちの生い立ちや現在の葛藤をつぶさにレポートされました。
出発点には、「知られざる実態を伝えたい」という鈴木さんの“熱”があったはずです。
「彼ら、彼女らの真実を少しでも知って欲しい」という強い“熱”。
それが、のちのちまで繋がっていくすべての出発点でした。

そのノンフィクションが講談社の編集者の目にとまり、鈴木大介さん(ストーリー)/肥谷圭介さん(作画)の漫画になり、「モーニング」で連載が始まりました。
漫画のストーリー部分を担当する鈴木さんは連載期間中、何度も作画の肥谷さんや担当編集者さんと喧嘩したといいます。
ファミレスでの打ち合わせ中、「こんなんじゃない!」とカッとなって席を立ち、2時間ほど外をグルグル回って頭を冷やしてからまた打ち合わせに戻ったと、苦笑しながら懐古されていました。
「よく帰らなかったですね」と僕が聞くと、「帰らなかった。いや、なぜか帰れなかったんです」と鈴木さんはいいました。
リアルに取材した事実がエンターテインメントとしてのフィクションに置き換わっていく、実在する少年たちが漫画になっていく。
そのことへの葛藤があったのだと想像されますが、最後は「実態を世間に伝えていかなきゃいけない」という想いが勝ったんだと僕は思っています。

「いま何か面白い漫画ありますか?」
大学の先輩であり、某雑誌の編集長であり、いまは一緒に映画のメールマガジンをやっている知人に数年前、訊いたことがあります。
即座に挙がってきたのが漫画「ギャングース」でした。
読んですぐにぶっ飛ばされました。
とてつもない情報量の中に、“わたしが知らない世界”がこれでもかと描かれていました。
年間数百億円の被害額が報告されている振り込め詐欺の向こう側にある世界、驚くべき特殊詐欺の精巧な仕組み。
プレイヤーと呼ばれる電話の「かけ子」、カネを取りにいく「出し子」「メッセンジャー」、彼らを統括する「番頭」、情報や裏の名簿を提供する「情報屋」、その上にいる「金主・オーナー」。
背景にある、悲惨な家庭環境に育ち、社会のセーフティネットからあっという間にこぼれ落ちる子供たち。
大人に救ってもらうことも叶わず、少年院に入り、出院した後も身寄りがない少年たち。
身を寄せるようにわずかな知己と始める犯罪ギリギリの仕事。
“わたしが知らない世界”ではなく、“わたしがこれまで知ろうとしなかった世界”でした。

漫画では、振り込め詐欺などのいわゆる特殊詐欺をしているグループからカネを奪う(=タタキ)行為を、主人公たちのなりわいとして描いていました。
いわゆる強盗ものでもあり、盗賊ものでもあり、いってしまえば「犯罪者が犯罪者のアガリから奪って生き残る」物語なのですが、そんな簡単な設定では片付けられないほどの切実さがそこにはありました。
読みながら、少し前に地元の埼玉県であった事件を思い出しました。
母子家庭の一家3名が私の実家からそう遠くない河に車で入り、入水自殺したという事件です。
母親と子供たちにどんな事情があったかはニュースからは知ることはできませんでしたが、「ギャングース」は彼女らの裏側を知らずにニュースを消費する私自身に重い問いを投げかけ続けていました。

知らないままでいいのか?
そこはお前の育った街じゃないのか?
そこはお前の住んでいる日本という国じゃないのか?

漫画化が軌道に乗り始めた頃、映画化の話が僕のところに持ち込まれました。
普通、「モーニング」のようなメジャー漫画誌に連載されている漫画は、連載が始まった途端、映画会社や制作会社が権利を取りに走ります。
有名な漫画家や小説家の場合、本が発売される前に映画化権が譲渡されたりします。おそらく「ギャングース」もそういう権利獲得合戦はあったはずですが、なぜかまだ商業映画を2、3本しか撮ったことのない僕のところへ話がきました。
これまた推測でしかありませんが、鈴木さんや漫画編集者さんが僕の『SRサイタマノラッパー』シリーズを観てくれていて、「こいつなら地方の若者の苦悩を描けるんじゃないか」と思ってくださったのでは、と今も思っています(あえて聞かないようにしているので、推測です)。
「“熱”を共有できる奴に映画化してほしい」という想いもあったはずです(その後の打ち合わせで何度も痛感しました)。

「任せるので自由にやってください」と言っていただけたのはありがたいことでした。
最初の打ち合わせにのぞむと、やはり漫画チームからは「原作の核にある熱と現実をまず知ってほしい」という想いをヒシヒシと感じました。
鈴木さんの目は血走っていたし(連載中だったからだけじゃないはずです)、肥谷さんも編集者さんも真剣そのものでした。 漫画と映画はメディアとして異なり描ける分量にも自ずと差が出てくるため、最初から漫画のストーリーをそのまま映画で描くのは無理だと思い(漫画はその後16巻で完結し、映像化するなら連続ドラマ2クール分くらいの分量が必要なので)、ストーリーについてはある程度映画オリジナル版にさせていただくことも了解してもらいました。
そのかわり、プロットを作ったり脚本を書いたりするたびに鈴木さんと打ち合わせをさせていただきました。
映画として使える新たなネタをもらう、という意図もありましたが、なにより鈴木さんが取材してきたたくさんの少年・少女たちの実像と、映画で描こうとするキャラクターが乖離するのが嫌だったからです。
打ち合わせを重ねるうちにだんだんと鈴木大介さんの背後に、僕が会ったこともない少年少女たちの姿がJOJOのスタンドみたいに見えてくるようになりました。
半グレと呼ばれる少年たち、非行少年・少女と呼ばれる若者たち、あるいは少年院を出て更生したり、しなかったりした者たち。
取材源秘匿のため鈴木さんから本物の彼ら彼女らを紹介してもらうことはしませんでしたが、彼らの姿が立体的に見えるようになった頃、「書きあげるれかもしれない」と思えました。

それから4年。
「やっぱり自分の足で、自分の目で取材しないとダメだ」と途中で思い立ち、鈴木さんとは別のルートで、モデルとなりそうな方、児童養護施設をドキュメンタリーで撮った監督、家族の問題を抱えている方、そんな方々にプロデューサーと一緒に、あるいは一人で会いに行きました。
「裏を取る」というとジャーナリストみたいですが、映画を作るにあたって、漫画に描かれたことがどこまで本当なのか自分の目で調べたいと思ったからです。
漫画「ギャングース」の方はどんどん連載が進み、ブラジル移民や東日本大震災などの時事ネタも取り込みつつ、キャラクターが増え、物語に大きなうねりみたいなものを生みだしながら、クライマックスへ怒涛の展開を見せていっていました。
そして、最後に提示されたかろうじての小さな希望。
最初は「このエピソードも入れたい。このキャラクターも魅力だ」と目移りしていた僕も、自分で取材をしていくうちに「熱だけ引き継げばいい」と、覚悟のようなものができていきました。
やっと書き上げたのが、今の映画版の原点となる初期の脚本です。
主要キャラクターは漫画と一緒ですが、後半の物語はほとんど映画オリジナルとなっていました。映画版にしか登場しないキャラクターも生まれました。
漫画のキャラクターを一度自分の身体の中に入れたら、彼ら彼女らを自分の体内で育てていく、彼ら彼女らが新たな人生を生きていくのを目撃する。それを脚本に記録していく、というような感覚だったと思います。

そんなこんなで、僕が漫画チームから話をもらってから、気づけば5年。
鈴木さんが最初のルポルタージュ「家のない少年たち」を執筆してから、8年。
おそらく漫画チームとしては、連載中に映画化を果たして欲しかったはずです(その方が漫画のプロモーションにもなるし、メディアミックス的展開が期待できるから)。
でも、映画にとってはこの時間が必要だったと今は思います。
これまで「知らない」で済ませていた彼ら彼女らの裏側、悲惨な状況を放置している社会の実態を知るための時間でした。
むしろ社会の実情は漫画の連載当時よりもっと悪く、さらに子供たちに厳しいものになっていると思います

「メシを食うカネに困ってるのに、なんでケータイを持っているのか?」
「少年院を出たというだけで、社会からこぼれ落ちるわけではないのでは?」
「本当に加害者の加害者性は生まれや育ちのせいだけなのか?」

おそらくいろいろな意見が映画を観た方から出るだろうと思います。
映画がその疑問すべてに答えを提示できるとは思えませんが、それでも「あなたが知らない世界」「今まで気づかなかった隣人」について何かしら伝える”熱”は持っているつもりです。
この映画を観て興味を持ったら、漫画「ギャングース」を読んでいただけると嬉しい。
また鈴木さんのノンフィクション「ギャングースファイル/家のない少年たち」を読んでいただけたら嬉しい。
一足早めに映画を観てくれた私の地元の映画館・深谷シネマの支配人の竹石さんは、こんな感想を送ってくれました。

「まだ見ぬ世界に連れ出してくれてありがとう。毎日見ている世界が何とちっぽけだったのか、目が覚めたようです。彼らは希望です」

これは僕自身が漫画とルポルタージュを読んで抱いた感想と一緒です。
73歳の竹石さんに鈴木さんからのバトンが届いた瞬間でした。

公開の11月23日から、このバトンは映画をご覧いただいた皆様の手へ移っていきます。
ぜひ受け取ってください。
あー、生きづらいな、しんどいな、と思っているかつての僕みたいな少年や少女たちに届くことを願っています。
そして、僕の地元の川に車ごと飛び込んだ、あの母と子のような悲劇が起きないような社会になることを。


入江悠


映画『ギャングース』
http://gangoose-movie.jp/